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東京高等裁判所 平成10年(行ケ)26号 判決 1999年12月16日

原告

三井化学株式会社

代表者代表取締役

【A】

訴訟代理人弁護士

小坂志磨夫

櫻井彰人

同弁理士

【B】

被告

ホーヤ株式会社

代表者代表取締役

【C】

被告

ホーヤレンズ株式会社

代表者代表取締役

【D】

被告ら訴訟代理人弁護士

品川澄雄

同弁理士

【E】

【F】

【G】

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

特許庁が平成8年審判第20562号事件について平成9年12月17日にした審決は、訂正請求を認容した部分を除き取り消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

2  被告ら

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、発明の名称を「チオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法」とし、昭和59年3月23日に特許出願、平成8年9月2日に設定登録された特許第2090299号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。

被告らは、平成8年12月6日に当時の本件発明の特許権者であった三井東圧化学株式会社(原告に吸収合併済)を被請求人として本件発明に係る特許の無効の審判を請求し、特許庁は、同請求を平成8年審判第20562号事件として審理した結果、平成9年12月17日に「訂正を認める。特許第2090299号発明の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本を平成10年1月14日に原告に送達した。なお、上記審決の「訂正を認める。」の部分は、本件発明につき平成9年6月10日に上記三井東圧化学株式会社によってなされた訂正請求に対するものである。

2  特許請求の範囲

イソシアナート基を有する化合物と、メルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とするチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。

3  審決の理由

別紙審決書の理由の写しのとおり、本件発明は、特開昭58-127914号公報(審決の甲第1号証の8、本訴の甲第3号証、以下「引用例1」という。)、米国特許第3356650号明細書(審決の甲第1号証の3、本訴の甲第4号証、以下「引用例2」という。)及び米国特許第3310533号明細書(審決の甲第1号証の4、本訴の甲第5号証、以下「引用例3」という。)に記載された発明(以下、審決認定に係る引用例1に記載された発明を「引用発明1」のようにいい、引用例2、3に記載された発明についても同様にいう。)に基づいて当業者が容易に発明することができたから、本件特許は、特許法29条2項に違反したものであって無効であると認定判断した。

4  本件明細書の記載

本件明細書には、本件発明について、次のとおりの記載がある。

(1)  「本発明はチオカルバミン酸S-アルキルエステル系のレンズ用樹脂の製造方法に関するものである。プラスチックレンズは、無機ガラスレンズに比べて、軽量で割れにくく、染色が可能であるため、近年日本ではメガネレンズ、カメラレンズや光学素子に著しい勢いで普及している。現在、この目的に広く用いられている代表的な樹脂としては、ジエチレングリコールビスアリルカーボネート(以下この重合物をDAC樹脂と略す)をラジカル重合させたものがある。・・・DAC樹脂の最大の欠点は、無機レンズに比べて屈折率が低く・・・レンズに加工した場合、レンズの厚みが大きくなることである。」(1欄8行目ないし2欄3行目)

(2)  「高屈折率を与えるレンズ用樹脂の一つとして、・・・ウレタン樹脂は公知である。しかしながらこれらのウレタン系樹脂は、高屈折率を得るには限界があり、たとえ得られたとしても屈折率がND20℃=1.60付近またはそれ以上を有する樹脂を得るためには芳香族系のイソシアナートや、ハロゲン原子を多く使用せねばならず、そのため着色等の外観や耐候性の外に切削性研磨性に問題が生じる。これに対し、本発明方法で製造されるチオカルバミン酸S-アルキルエステル系樹脂を用いた場合は屈折率ND20℃=1.60以上のものが得られ、また着色等の外観や耐候性等に問題が生じることが殆んどない。また、前述のウレタン系樹脂では、3官能以上の化合物を入れないと切削性及び研磨性等の加工性に劣るが、本発明方法で製造される樹脂では必ずしも3官能以上の3次元架橋剤を入れなくてもレンズ用樹脂として必要な切削性及び研磨性等の加工性が良好なものが得られる。」(2欄20行目ないし3欄17行目)

(3)  「このようにして得られる樹脂は、樹脂中にS原子をチオカーバメート基として有しているため、公知のレンズ用樹脂と比べ、レンズに加工した場合、屈折率が高いほかに、次のような特徴を有している。1.強じんなプラスチックレンズが得られる。2.無色透明な樹脂が得られる。3.耐衝撃性にすぐれている。4.切削性、研磨性が良好で加工性にすぐれている。5.成形重合時の収縮率が比較的少ない。6.比重が比較的小さく軽量である。などである。」(5欄19行目ないし29行目)

第3  原告主張の審決の取消事由の要点

審決の理由[1]、[2]は認める。同[3]の〔当事者の主張〕の項のうち、6頁4行目から16行目までは争い、その余は認める。同〔証拠関係〕、〔甲各号証の記載事実〕、〔乙各号証、参考資料1~13および資料1~2の記載事実〕の各項は認める。同〔第1無効事由についての判断〕の(本件特許発明)のうち、55頁8行目から19行目まで、58頁1行目から2行目まで、6行目から8行目まで、60頁9行目から61頁19行目まで、62頁5行目の「そして、」から18行目まで、63頁11行目から64頁14行目まで及び65頁3行目の「Tgや」から5行目までは争い、54頁13行目から55頁7行目及び64頁16行目は、本件発明の要旨を特許請求の範囲に記載されたとおりと形式的に説示しているものとしての限りでのみ認め、その余は認める。同〔第1無効事由についての判断〕の(先行発明との対比・判断)のうち、65頁7行目から12行目まで、16行目から18行目まで及び66頁5行目から18行目までは認め、その余は争う。同〔第1無効事由についての判断〕の(進歩性判断に関する補足事項)のうち、71頁2行目から5行目まで及び8行目から17行目までは争い、その余は認める。同〔結び〕は争う。

審決は、審理不尽の違法を犯し(取消事由1)、本件発明の要旨の認定を誤り(取消事由2)、かつ、本件発明の進歩性の判断を誤ったものであって(取消事由3)、違法であるから、取り消されるべきである。

1  取消事由1(審理不尽)

審決には、平成9年8月27日に被告ホーヤレンズ株式会社製品開発課の【H】、【I】作成の平成8年12月2日付実験証明書(審判甲第5号証、本訴甲第6号証、以下「甲第6号証実験証明書」といい、この実験を「甲第6号証実験」という。)に関する口頭審理のみを開催し、原告に対して何らの釈明を求めず、本件発明、特に、原告大牟田研究所の【J】作成の平成9年5月22日付実験報告書2(審判乙第6号証、本訴甲第7号証、以下「甲第7号証実験報告書」といい、この実験を「甲第7号証実験」という。)について技術説明をする機会をも設けることなく審理を終結した審理不尽の違法がある。上記審理不尽は、審決の結論に重大な影響を与えたものである。

2  取消事由2(本件発明の要旨の認定の誤り)

本件発明の要旨は、「イソシアナート基を有する化合物とメルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とする高屈折率を与えるチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」であるものと解すべきである。そして、本件発明の目的物質であるレンズ用樹脂は、メガネ用レンズの素材としてのみ用いられるわけではなく、メガネ、カメラを始めとした光学機器・光学素子用等各種レンズ用の素材として用いられるのであるから、目的物質に係る高屈折率以外の切削研磨性等の諸特性は、各用途に応じて生ずる種々の要請に応える製造上の工夫によって定めればよいことである。

ところが、審決は、本件発明の一部の実施例の実験結果にすぎないものを根拠に、「本件特許発明により製造された樹脂は、屈折率が1.55~1.64程度であり、比重が1.30~1.44程度であるが、Tgや熱変形温度が低く、-20℃に冷却してはじめて良好な切削性と研磨性を示すものである」(65頁1行ないし5行)と認定したうえで、目的物質における高屈折率以外の属性をも本件発明の要旨に取り込んでいる。

したがって、審決は、本件発明の要旨の認定を誤ったものである。

3  取消事由3(進歩性の判断の誤り)

(1)  一致点の誤認と相違点の判断の誤り

イ (一致点「レンズ用樹脂」の誤認)

審決は、本件発明と引用発明1との対比につき、「両発明は、・・・レンズ用樹脂を製造する点で一致しており」(審決66頁1行ないし4行)と認定したが、誤りである。

本件発明の目的物質は、プラスチックレンズと称される一般的光学レンズ(眼鏡、カメラ、光学素子など)用樹脂に限定されている。これに対して、引用発明1のコンタクトレンズ用樹脂は、以下のとおり、その特殊性のゆえに、本件発明の目的物質である一般的光学レンズのカテゴリーに含まれない。

コンタクトレンズにおいては、それが直接生体に接した状態で使用されるという特殊性から、その素材の研究開発は、酸素透過性や湿潤性などの生体適合性に優れた素材の探索に主力が注がれるのであり、引用発明1は、これらの特性を持った樹脂を提供することを目的としている。また、コンタクトレンズの理想的な屈折率は、同レンズが直接角膜の上に装着するものであることから、涙の屈折率(1.336)に近いものであり、屈折率の高いものより屈折率が低いもののほうがよい。これに対し、本件発明は、DAC樹脂の最大の欠点である屈折率の低さを改良して高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法を提供することを目的としており、生体適合性などは全く考慮されていない。

ロ (一致点「チオカルバミン酸エステル」の誤認)

審決は、引用例にジイソシアネートとポリチオール(なお、「チオール基」と「メルカプト基」は同義である。)を反応させることが明記されていると認定したうえ、これを前提に、本件発明と引用例記載のコンタクトレンズ用樹脂の製造方法との対比において、「両発明は、・・・チオカルバミン酸エステル・・・で一致しており、」(66頁1行ないし4行)と認定した。しかし、審決が前提とした認定は誤っており、したがって、これに基づく一致点の認定も誤りである。

引用例1には、<1>Q1-W(CkF2k0)p(CqF2q)Zという(式Ⅲ)について、上記式の「Q1 およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発明の装置の製造に使用できる重合体は・・・ポリオール、・・・ポリチオール・・・のようなポリ求核化合物との反応によって製造できる」(13頁左下欄12行目ないし19行目)、<2>「低分子量ポリ求核化合物の代表例には、水、アルキレングリコール、・・・および相当するアミノおよびチオール化合物がある」(同右下欄1行目ないし16行目)との記載がある。

しかし、上記<1>には「ポリチオール」、<2>には「チオール化合物」と記載されているのみで、具体的記載は一切存在せず、また、<1>に続く記載は、「形成される重合体はそれぞれポリウレタン、ポリ尿素、ポリチオ尿素およびポリアミンである」(同19行目ないし末行)というものにすぎないことからみるならば、当業者は、引用例1にジイソシアナート化合物とポリチオール化合物との重合によって形成されるポリチオウレタンが例示されているとは認識しない。

また、仮に引用発明1の予定している高分子がウレタン結合や尿素結合を一部含むとしても、それらの結合は単にペルフルオロオキシアルキレン単位の単量体を繋いで高分子量化させるだけのものであって、当該高分子はペルフルオロオキシアルキレン単位を主たる構造とするポリマーであるから、ペルフルオロポリエーテル系高分子に属すると解すべきである。

したがって、引用例1にジイソシアネート化合物とポリチオール化合物との反応が明記されているとの審決の認定は誤りである。

ハ (相違点3についての判断の誤り)

審決は、引用例2、3の記載を根拠に、「・・・ポリチオール化合物としてアルキルジチオールを用いることにより、チオカルバミン酸S-アルキルエステル系樹脂を製造することは当業者が容易に想到し得ることである。」と認定したが、誤りである。

本件発明は、前述のとおり、単なる樹脂を製造するのではなく、「レンズ用樹脂」、しかも「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」の製造方法を提供するものであるから、進歩性の判断においても、「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」を各引用例から当業者が容易に想到しうるか否かという点から判断すべきである。そして、引用例2、3には、ポリチオールを使用した例示がなく、「レンズ用樹脂」すら示唆する記載がないから、引用発明2、3を本件発明の進歩性判断の資料とすることはできないはずである。

(2)  効果についての判断の誤り

イ (屈折率の予測性の判断の誤り)

審決は、「プラスチックの屈折率がローレンツ-ローレンツの式からほぼ正確に予測できることは、・・・本出願前周知であり、硫黄(2価)の原子屈折率は7.80と大きく、これを含むプラスチックの屈折率が1.55~1.64程度であることは当業者が計算により予測できることである」(審決69頁5行ないし12行)と認定判断した。

しかし、ローレンツ-ローレンツの式からプラスチックの屈折率を求めるには、当該プラスチックを構成する原子の種類、原子の結合次数(単結合、二重結合あるいは三重結合)、並びに各原子の隣に結合している原子の種類など具体的な化学構造が予め特定されていなければならず、単に「硫黄を含むプラスチック」というだけで具体的化学構造が特定されていない場合には、当該プラスチックの屈折率を予測することは不可能なのである。

したがって、審決の上記認定判断は誤りである。

ロ (切削性、研磨性の判断の誤り)

甲第7号証実験で使用した機械を当業者が見れば、そこでの実験が、常温で切断し、常温で研磨することによって行われたものであることは容易に理解できる。ところが、審決は、甲第7号証実験のうちの実施例1の追試実験が-20℃で行われたとの誤った認定をした結果、本件明細書の実施例1、3、4、5、6で得られたレンズ成型品について、Tgが30℃以下で樹脂の耐熱性が低く、50℃付近でも変形したり、ゴム状で形状が維持できなかったりするものであり、実施例のすべてのものが-20℃に冷却してはじめて切削性と研磨性が良好であるといえるものである旨誤った認定判断をするに至った。

また、審決は、甲第7号証実験中「実施例1の追試験」として行われたものにおいて、ジブチルチンジラウレートが触媒で用いられたことに関連して、実施例1においては、本来触媒を使用していないとの前提に立って、実施例1の反応は、上記触媒を用いた上記追試験のものより不完全で、重合度が低く、そのため切削性や研磨性も、同追試験で得られた樹脂より劣ると、触媒を必要に応じて適宜用いることを当然とする、本件発明に係る特許出願当時の技術水準を無視する誤った認定をした。

(3)  本件発明のパイオニア性の看過

本件発明の最大の特徴は、ウレタン樹脂に対する硫黄原子の導入、すなわち、硫黄原子(S)をチオール基(メルカプト基)(-SH)の形で導入し、「イソシアナート基を有する化合物」と重合させて「チオウレタン樹脂」とすることにあり、かくしてチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂を初めて提供した点にある。そしてこのことは、わが国のみならず、広く世界のプラスチックレンズ業界に画期的な変革をもたらした。本件発明のパイオニア性は、その新規性及び進歩性を争う被告ら自身が昭和61年3月以降原告から原料物質を購入し、原告の技術指導の下に昭和63年2月に本件発明の実施品であるレンズ用樹脂の商品化に初めて成功したこと並びにその後も平成5年5月まで原告の技術指導が続けられた事実からも明らかである。ところが、審決は、このような視点を欠如したまま、一片の追試実験の片言を捉えて抱いた誤解に基づいて、典型的なパイオニア発明である本件発明の本質を見誤ったものである。

本件発明の場合、その特許性は「チオウレタン結合の形で硫黄原子を導入したことによる高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法」を提案した一点を以て十分に評価され、それ以外のレンズ用樹脂としての性状である透明性やアッベ数などの光学的特性やTg、熱変形温度、切削性及び研磨性等の性質を取り上げて本件発明の特許性を評価することは、およそ無意味な議論にすぎない。これらの個々の性状は、具体的なレンズ製品用樹脂の製造に当たって選択の対象とされれば足りる。ところが、審決は、本件発明に記載された一部の実施例を追試したにすぎない実験結果に基づいて、これを本件発明のレンズ用樹脂の物性に一般化して認定する誤りを犯した。

第4  被告の反論の要点

審決には何らの違法もない。

1  取消事由1(審理不尽)について

平成9年8月27日の口頭審理において、審判長は原告に対し、口頭審理における甲第6号証実験証明書の補足説明及び甲第7号証実験報告書との対比説明について意見があれば書面を提出するように指示しており、原告は、必要であれば甲第7号証実験報告書を説明する機会を設けることができた。ところが、上記口頭審理後に原告が提出した平成9年9月17日付上申書及び平成9年11月26日付上申書のいずれにも、原告が甲第7号証実験報告書について説明の機会を得たいとの積極的意思表示はされていない。

上記平成9年9月17日付上申書において原告が求めた口頭審理は、本件発明の技術的背景の説明のためのものである。しかし、本件発明の技術的背景の説明は、本件特許成立前の審査、異議及び審判において既に再三されており、更には本件審判における答弁書においてもされているので、これ以上説明の機会を設ける必要がないとした審判の合議体の判断は極めて妥当である。

原告には、本件審判において審理終結後に審理再開を申し立てた形跡もない。審理終結通知は、当事者に対し資料の追加提出のため、審理再開の申立てをする機会を与える趣旨で設けられている制度であるから、原告が真に口頭審理による技術説明を欲していたのなら、審理終結通知後であっても、審理再開を申し立てることができたはずである。

2  取消事由2(本件発明の要旨認定の誤り)について

審決は、本件発明の要旨は特許請求の範囲に記載されたとおりのものであると認定しており、審決の認定に誤りはない。

3  取消事由3(進歩性判断の誤り)について

(1)  一致点の誤認と相違点判断の誤りについて

イ (一致点「レンズ用樹脂」について)

(イ) 引用発明1は、広く眼科装置(ophthalmic device)に関するものであって、本件発明の所望態様である眼鏡レンズを包含する。

一方、本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法に関するものであって、そこにいうレンズに対する限定はなく、レンズには視力矯正用レンズの一種であるコンタクトレンズも含まれるから、本件発明のレンズ用樹脂は、視力矯正用レンズの他の一種である眼鏡レンズと同様、コンタクトレンズをも含むものである。

(ロ) 引用発明1におけるコンタクトレンズと本件発明におけるメガネレンズとは、視力矯正用具という点で共通している。このように引用発明1と本件発明とは同一の技術分野に関するものであるから、これを本件発明の進歩性判断の資料とした審決の認定は正当である。ちなみに、本件公告公報1頁に記載の国際特許分類は、主分類がC08G18/38(イソシアネートまたはイソチオシアネートの重合生成物・・・酸素以外に異種原子を含むもの)、副分類がG02B1/04(有機物質によって特徴付けられた光学要素)であり、この分類も被告の主張を支持している。

(ハ) 本件発明は「高屈折率を与える」ことを構成要件とはしておらず、他方、引用例1には、得られたレンズがすべて低屈折率であると明記されてはいない。

ロ (一致点「チオカルバミン酸エステル」について)

(イ) 引用例1には、「使用できる低分子量ポリ求核化合物の代表例には、・・・アルキレングリコール、・・・ポリヒドロキシアルカン・・・のような・・・ポリヒドロキシ化合物、・・・および相当するアミノおよびチオール化合物がある。」(13頁右下欄1行目ないし16行目)との記載があり、そこに掲げられた各種ポリヒドロキシ化合物(ポリオール)に相当するチオール化合物、すなわち、アルキレンジチオール、ポリメルカプトアルカンのようなポリチオール化合物を使用できることが明記されている。化学分野の明細書においては、同種の性質を有する2種の化合物たるA及びBを説明する際に、化合物Aについて具体的化合物a1、a2、a3・・・を例示しておけば、重複を避けるため、化合物Bについては、「相当する」(“corresponding"")化合物と記載するだけで、化合物Aの具体的化合物a1、a2、a3・・・に相当する化合物b1、b2、b3・・・が記載されていると取り扱うのが化学特許分野における実務慣行である。引用例1においても、ポリオールとポリチオールとが同じく活性水素化合物であるため、ポリオールについて具体的化合物を例示した後、ポリチオールについては「相当するチオール化合物」と記載することにより、ポリオールに相当するポリチオールの具体例を例示しているのである。

(ロ) 引用例1の「形成される重合体はそれぞれポリウレタン、ポリ尿素、ポリチオ尿素及びポリアミンである」(13頁左下欄19行目ないし末行)との記載部分を、そのすぐ上の「Q1 およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発明の装置の製造に使用できる重合体は・・・ポリオール、・・・ポリチオール・・・のようなポリ求核化合物との反応によって製造できる」(同欄12行目ないし19行目)との記載部分と合わせて読めば、ジイソシアネートとポリオールとからポリウレタンが製造されること及びジイソシアネートとポリチオールとからポリウレタンと同種の重合体が得られることは明らかであり、しかも、前記のようにジイソシアネート化合物との反応に供せられるポリチオール化合物が具体的に例示されているから、「ポリチオウレタン」という記載はなくても、引用例1はポリチオウレタンを具体的に開示していると解すべきである。

なお、引用例1の上記「ポリチオ尿素」(同欄末行)の記載は、「ポリチオウレタン」の誤記と解せられる。

(ハ) 原告は、引用例1記載の高分子化合物は、ペルフルオロポリエーテル系高分子に属すると解すべきであると主張しているが、引用例1記載の高分子化合物のうち、多官能イソシアネート化合物であるジイソシアネートと多官能チオール化合物であるポリチオールとの反応により得られた高分子化合物は、多数のチオウレタン結合を有することが明らかであるから、ポリチオウレタンと解するのが当然である。

ハ 本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法の発明であるから、「樹脂の製造方法」に関する発明を記載した引用発明2、3は、本件発明の進歩性判断の資料となり得る。

(2)  効果についての判断の誤りについて

イ (屈折率について)

樹脂の屈折率は、主として、その樹脂を得るために用いられたモノマーの屈折率に依存することはよく知られているところであるから、樹脂の屈折率は、樹脂自体の構造を見るまでもなく、使用したモノマーの屈折率によって予測できる。

本件明細書によれば、m-キシリレンジイソシアナート(m-XDI)0.050モルにジエチレングリコール、すなわち、(2-ヒドロキシエチル)エーテル0.050モルを反応させて得られた比較例1のポリウレタン樹脂の屈折率1.56に対して、ジエチレングリコールである(2-ヒドロキシエチル)エーテルのヒドロキシ基をメルカプト基に置き換えた(2-メルカプトエチル)エーテルを用いた以外は比較例1と同一条件で得られた実施例1のポリチオウレタン樹脂の屈折率は1.62である。そして、硫黄の原子屈折が酸素の原子屈折より高いこと及び(2-メルカプトエチル)エーテルの屈折率が1.521で、(2-ヒドロキシエチル)エーテルの屈折率1.446より高いことが知られているから、比較例1に対する実施例1の上記屈折率の向上は、ヒドロキシ基がメルカプト基に置換されていることに基づいて容易に予測できる程度のものである。

ロ (切削性、研磨性について)

甲第6号証実験と甲第7号証実験を対比すると、生成物の屈折率と比重とは同様であり、また耐熱性(Tg)も似ているが、甲第6号証実験によれば生成物の常温における切削加工及び研磨性は著しく不良である。他方、甲第7号証実験報告書では、切削加工及び研磨性は良好と記載されているが、切削研磨時の温度は一切記載されていない。しかし、甲第7号証実験において、離型は-20℃で行われているから、切削加工及び研磨時の温度も離型の温度と同じく-20℃であると判断するのは至極当然のことである。しかも、原告は、審判において被告のこのような判断に対し、度重なる反論の機会がありながら一度たりとも反論しなかった。このような状況の下に、審決は、本件発明の実施例が-20℃に冷却して初めて切削性と研磨性が良好であるといえるものと認定したものであり、その認定は正当である。

化学反応において触媒を使用するのは最適の条件で最良の物性を具えた目的物を好ましい収量で得るためにほかならない。ところが、原告は、本件明細書では触媒を使用することを開示していない実施例について、甲第7号証実験ではわざわざ触媒を使用したのであるから、触媒を使用した場合が触媒を使用しない場合に比べてより好ましい結果が得られること、換言すれば、審決が認定したとおり、触媒を使用しない場合に得られた樹脂は、触媒を使用した実験よりも不完全で重合度が低く、そのため、切削性や研磨性も劣ると考えることは経験則に基づく判断として妥当なものである。

(3)  本件発明のパイオニア性について

イ 引用例1には、素材としてのポリチオウレタン樹脂のみならず、用途としての「レンズ用途」までもが記載されている。したがって、ポリチオウレタン樹脂に初めてレンズ素材としての用途を見いだしたという主張に基づく本件発明のパイオニア性は、引用例1の記載によって明確に否定される。また、本件発明の実施品は、決して商業化されていないし、また、商業的成功をも奏していない。原告が自らの主張の根拠にしているのは、本件発明の生成物ではなく、後願発明の生成物である。

ロ レンズを評価するうえでの重要な物性は、屈折率に限られるわけではない。透明性などの光学的性質や、Tg、熱変形温度、切削性及び研磨性等も、屈折率と並んで重要である。本件発明に対する特許性の判断において、これらの物性を屈折率とともに評価した審決に誤りはない。

第5  当裁判所の判断

1  取消事由1(審理不尽)について

原告は、審決について、甲第6号証実験証明書に関する口頭審理のみを開催し、原告に対して何らの釈明を求めず、本件発明、特に甲第7号証実験報告書について技術説明をする機会を設けることなく審理を終結した審理不尽の違法がある旨主張する。しかし、審判長は、事件が審決をするのに熟したときは審理を終結できるのであり、事件が審決をするのに熟したかどうかは審判長の裁量に属する事項であるから、本件発明、特に甲第7号証実験報告書について技術説明をする機会を設けることなく審理を終結したとしても、そのことをもって直ちに違法であるということはできない。

のみならず、乙第1号証によれば、審判長は、平成9年8月27日に行われた口頭審理において、原告に対し、被告従業員がした甲第6号証実験証明書と甲第7号証実験報告書の対比説明に対して意見があれば書面を提出するように指示したことが認められるから、本件審判において甲第7号証実験報告書について原告が技術説明をする機会が与えられていなかったということもできない。また、本件審判において本件発明の効果を含む技術の内容が争点とされていたことは原告にとっても明白であった以上、原告において必要と考えれば書面等により本件発明についての技術説明をする機会は十分あったものというべきであるから、審判長においてことさら本件発明についての技術説明を促さなかったとしても、それをもって本件発明について技術説明をする機会を与えなかったということもできない。

原告は、本件発明ないし甲第7号証実験報告書について技術説明をするための口頭審理がされなかったことをもって違法と主張するものとも解されるけれども、審判長は、職権により審判を書面審理によるものとすることもできるのであるから、口頭審理をしなかったことをもって直ちに違法ということはできない。

平成9年8月27日の口頭審理より後に原告により提出された上申書(乙第2、第3号証)にも、甲第7号証実験報告書について口頭による説明の機会を得たいとの積極的意思は表明されていない。

以上のとおりであるから、原告の主張は、採用することができない。

2  取消事由2(本件発明の要旨の誤認)について

審決は、本件発明の要旨を、特許請求の範囲に記載されたとおりの「イソシアナート基を有する化合物とメルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とするチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」と認定していることは、審決の理由54頁14行目ないし55頁1行目及び64頁16行目の記載から明らかである。そして、甲第2号証の1(本件公告公報)、2(特許法64条の規定による補正の公報)によれば、本件発明の要旨は上記審決の認定のとおりのものであることが認められるから、審決の認定に誤りはない。

原告は、本件発明の要旨を「イソシアナート基を有する化合物とメルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とする高屈折率を与えるチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」であると主張する。しかし、発明の要旨の認定は、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきであり(最高裁判所平成3年3月8日判決・民集45巻3号123頁参照)、本件においては、特許請求の範囲に記載のない「高屈折率を与える」との要件を付加すべき特段の事情は認められないから、原告の主張は、採用することができない。

3  取消事由3(進歩性の判断の誤り)について

(1)  構成の容易推考性について

イ 一致点「レンズ用樹脂」について

甲第2号証の1、2によれば、本件発明は、レンズ用樹脂の製造方法の発明であって、コンタクトレンズ用樹脂の製造方法も含まれるものと認められる。

この点に関して、原告は、本件発明の目的物質は、プラスチックレンズと称される一般的光学レンズ(眼鏡、カメラ、光学素子など)用樹脂に限定されている旨主張する。しかし、甲第18号証の資料6(特開昭57-136601号公報)によれば、同資料には、「本発明は、ポリウレタンを樹脂素材とする新規なプラスチックレンズに関するものである。プラスチックレンズとしては、・・・眼鏡用レンズ、・・・コンタクトレンズなどがあり、」(1頁左下欄11行ないし16行)、「本発明は、・・・眼鏡レンズ、コンタクトレンズ等の光学レンズ部品に適した新規なウレタン樹脂を提供することを目的としている。この発明の他の目的

は、・・・・すぐれたプラスチックレンズを提供することにある。」(2頁左上欄11行ないし16行)との記載があり、甲第19号証の1(「Plastics age 第32巻10月号」株式会社プラスチックス・エージ昭和61年10月1日発行)によれば、同証には、「プラスチックレンズの応用 Ⅰ.眼鏡レンズ Ⅱ.コンタクトレンズ」(表紙)、「1940年代、PMMA(判決

注・Poly-methylmethacrylateであって、プラスチックと認める。)レンズ(ハードコンタクトレンズ・・・)は、・・・一応実用化の時代に入った」(146頁左欄末行ないし中欄4行)、「1960年・・・含水したPHEM

A(Poly-hydroxyethylmethacrylate(判決注・プラスチックと認める。))のCL(ソフトコンタクトレンズ・・・)開発の基礎が発表された。」(同頁中欄22行ないし27行)との記載があることが認められ、以上の記載によれば、プラスチックレンズにはプラスチックのコンタクトレンズが含まれるものというべきである。なお、上記甲第19号証の1は、本件発明に係る特許出願後の文献であるが、上記引用に係る記載に関しては、その内容に照らせば、上記出願当時においても、当業者は同記載と同様の認識を持っていたものと認められるところである。

そして、本件明細書には、本件発明について、コンタクトレンズ用樹脂の製造方法が除かれるとか、眼鏡、カメラ、光学素子等に限定されるとかという趣旨の記載はないから、原告の主張は、採用することができない。

したがって、コンタクトレンズ用樹脂の製造方法である引用発明1と本件発明とが、レンズ用樹脂を製造する点で一致しているとした審決の認定に誤りはない。

ロ 一致点「チオカルバミン酸エステル」について

(イ) 甲第3号証(引用例1)によれば、引用例1には、<1>「式ⅢのQ1およびZが共に反応性基である場合、本発明の装置を製造できる重合体は反応性基Q1に好意的な(すなわち反応性)の2個またはそれ以上の基を有する共反応体との反応によって製造できる。Q1およびZがイソシアナート基-NCOである場合、本発明の装置の製造に使用できる重合体はヒドロキシル、アミノ、チオールおよびカルボキシル当量約2500まで、好ましくは約200から1250までを有するポリオール、ポリアミン、ポリチオールおよびポリカルボン酸のようなポリ求核化合物との反応によって製造できる。」(13頁左下欄8行目ないし19行目)、<2>「使用できる低分子量ポリ求核化合物の代表例には水、アルキレングリコール・・・ポリヒドロキシアルカン・・・のような他のポリヒドロキシ化合物、化合物XXIXおよびXXXなどのようなペルフルオロポリエーテルジオールおよび相当するアミノおよびチオール化合物がある。使用できるポリカルボン酸の例としては、・・・p-フタル酸などがある。」(同頁右下欄1行目ないし19行目)との記載があることが認められ、上記記載によれば、引用例1には、原料が特定のジイソシアナートである場合に、これとポリチオールを反応させることが記載されているというべきである。一方、弁論の全趣旨によれば、ジイソシアナートとポリチオールを反応させれば、チオカルバミン酸エステル系樹脂が製造されることが認められる。

以上の事実によれば、引用発明1は、イソシアナート基を有する化合物と、チオール基(メルカプト基)を有する化合物とを反応させることによりチオカルバミン酸エステル系樹脂を製造するものであることが認められる。

(ロ) もっとも、引用例1には、上記<1>に続いて、反応によって形成される重合体をあげており、その中にはポリチオウレタンは明示されていない。しかし、引用例1には、ジイソシアナートとポリチオールを反応させることが記載されていること、ジイソシアナートとポリチオールを反応させれば、チオカルバミン酸エステル系樹脂が製造されることは前記認定のとおりであるから、反応によって形成される重合体として上記ポリチオウレタンが明示されていないことは、前記(イ)の認定を左右するものではない。

なお、原告は、上記<1>、<2>には具体的記載は一切存在しない旨主張する。しかし、上記<2>の記載によれば、「相当する・・・チオール化合物」とは、ポリヒドロキシ化合物として例示されているアルキレングリコール、ポリヒドロキシアルカン等に相当するチオール化合物をいうものと認められるから、当業者は、引用例1には、ポリヒドロキシ化合物中でアルキレングリコール、ポリヒドロキシアルカン等が占めている位置に相当する位置にあるチオール化合物、すなわち、アルキレンジオチール、ポリメルカプトアルカン等が開示されていると認識するものと認められるところである。

また、原告は、引用発明1の高分子はペルフルオロオキシアルキレン単位を主たる構造とするポリマーであるから、ペルフルオロポリエーテル系高分子に属すると解すべきである旨主張する。しかし、ジイソシアナートとポリチオールを反応させた場合、これにより得られた高分子は、多数のチオウレタン結合を有することは明らかであるから、それはポリチオウレタンということに何の問題もない。

ハ 相違点(1)について

甲第18号証(原告作成の技術説明書)及び弁論の全趣旨によれば、イソシアナート基とチオール基の反応は重付加反応であり、イソシアナート基1モルに対してチオール基1モルが反応することが認められる。そうすると、いずれかが過剰であれば、その分が未反応のまま残存することになるなどの不都合が予想されることは自明である。したがって、イソシアナート基とチオール基のいずれもが過剰にならない1/1に近い値、すなわち、0.5~3.0の間にある値を設定することは、当業者が容易に想到できたことと認められる。

ニ 相違点(2)について

甲第3号証によれば、引用例1には、「本発明の装置は、重合される物質を所望の形状の型に装入し、次いでその中に重合を起こさせることによって製造できる。所望の最終形状を有する装置はこの方法で得ることができる。」(14頁右下欄15行目ないし18行目)との記載があること及び重合の際に加圧等をすることをうかがわせる記載はないことが認められ、上記記載によれば、引用発明1は、注型重合法によるものであることが認められる。

ホ 相違点(3)について

(イ) 甲第4(引用例2)、第5号証(引用例3)及び弁論の全趣旨によれば、引用例2、3には、イソシアナート化合物と反応するポリチオールとして、1,2-エタンジチオールのようなアルキルジチオールを用いることが記載されていること及びイソシアナート化合物とアルキルジチオールを反応させれば、チオカルバミン酸S-アルキルエステルが形成されることが認められる。上記認定事実の下では、引用発明1において、ポリチオール化合物としてアルキルジチオールを用いることにより、チオカルバミン酸S-アルキルエステルを製造することは、当業者が容易に想到し得たものということができる。

(ロ) 原告は、引用例2、3には、ポリチオールを使用した例示がなく、「レンズ用樹脂」を示唆する記載もないから、引用例2、3を本件発明の進歩性判断の資料とすることは誤りである旨主張する。

しかし、引用例2、3には、樹脂の製造方法として、ポリチオールとしてアルキルジチオールを用いることが開示されている以上、引用発明2、3の樹脂の製造方法が「レンズ用」のものとして開示されていないことや、そこにポリチオールを使用した例示がないことによって、樹脂の製造方法に係る発明である点では共通する引用発明1のポリチオールにこれを適用することが、想到困難となるとは考えられない。

また、原告は、本件発明が「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」の製造方法を提供するものであることを前提として、進歩性の判断においても、「高屈折率を与えるレンズ用樹脂」を各引用例から当業者が容易に想到しうるか否かという点から判断すべきである旨主張する。しかし、「高屈折率を与える」ことが本件発明の要旨と認められないことは、前記2の認定のとおりであるから、原告の主張は、前提を欠くものであって失当である。

へ 以上の事実によれば、「イソシアナート基を有する化合物と、メルカプト基を有する化合物とを-NCO基/-SH基=0.5~3.0モル比の割合で注型重合法により反応させることを特徴とするチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法。」という本件発明の構成は、引用発明1ないし3から当業者が容易に想到することができたものと認められる。

(2)  効果の顕著性について

イ 屈折率について

(イ) 乙第11号証(「高分子 33巻3月号」社団法人高分子学会昭和59年3月1日発行)によれば、プラスチックの屈折率がローレンツ-ローレンツの式からほぼ正確に予測できることは、本件発明の出願時において技術常識であったことが認められる。そして、本件発明によって製造されたプラスチックレンズが、ローレンツ-ローレンツの式から予測される範囲を超えていることを認めるに足りる証拠はない。そうすると、本件発明によって製造されたプラスチックレンズの屈折率は、当業者が計算により予測できる程度のものであると推認されるから、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂の屈折率は、当業者が予測できた程度のものといわざるを得ない。

そして、このことは、原告自身が、審判において、審判事件答弁書の中で、「高分子物質の屈折率は、その物質を構成している原子及びモノマーによってその原子屈折及び分子屈折等から計算により概ね実測値に近いものとして求めることができる。・・・即ち、高分子物質を構成する原子のそれぞれの原子屈折の和と、モノマーの繰り返し単位構造中の分子容等により、Lorentz-Lorentz式を用いて、その物質の屈折率(計算値)を算出することが可能である。」(乙第6号証5頁8行ないし14行)、「高分子物質の屈折率は、既に述べたように、一般にそのモノマーの屈折率あるいは構成原子の原子屈折率に依存するとされていることは技術常識であり、そのことがレンズ用プラスチック素材の開発における一つの指標とされているのである」(15頁下から6行ないし3行)と主張し、本訴において、技術説明書の中で、「新しい素材の開発は、原子屈折の大きな原子の導入、あるいは単量体(モノマー)の結合様式などを組み合わせて、高屈折率を有するであろう分子構造を想定し、その想定した高分子化合物の推定屈折率をローレンツ-ローレンツ式により求めることから始まる。・・・硫黄原子(7.80)は、塩素原子(5.967)や臭素原子(8.865)と同等の原子屈折を有しているので、硫黄原子の導入は樹脂の高屈折率化に有効であると推察することができる。」(甲第18号証11頁6行ないし14行)と説明していることからも裏付けられるところである。

(ロ) もっとも、原告は、ローレンツ-ローレンツの式からプラスチックの屈折率を求めるには、当該プラスチックの具体的な化学構造があらかじめ特定されていなければならないから、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂の屈折率は、当業者が予測できなかった旨主張する。

しかし、本件発明の構成が、引用発明1ないし3から当業者が容易に想到することができたことは前認定のとおりである。そして、引用発明1ないし3に基づいて当業者が想到できた本件発明の構成である製造方法は、当然、引用例1ないし3に種々記載されている、具体的な化学構造を特定された「イソシアナート基を有する化合物」と、具体的な化学構造を特定された「メルカブト基を有する化合物」とを反応させるものであるから、それによって製造されるチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の具体的な化学構造も、種々想定はされるものの、いずれも予め特定できるものであることは明らかである。そして、いったん具体的な化学構造が特定された以上、そのチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の屈折率を予測することは容易であることは、前認定のとおりである。

原告の主張は、結局のところ、本件発明の構成が引用発明1ないし3から容易に想到することができなかったことを前提とするものであって、その前提において失当である。

ロ 切削性、研磨性について

(イ) 甲第6号証によれば、本件明細書の実施例1、4及び6には、切削性、研磨性に劣り、常法により玉摺加工しようとしても、ダイヤホール(φ100)が融けた樹脂で目詰まりし、切削加工できないものが含まれていることが認められる。

もっとも、甲第7号証には、甲第7号証実験において本件発明の実施例1、4及び6を追試したところ、得られたブラスチックレンズ用樹脂は切削性、研磨性が良好であった旨の記載がある。しかし、同証によれば、上記追試は、重合触媒としてジブチルチンジラウレートを使用したものであることが認められるにもかかわらず、本件明細書には、触媒としてジブチルチンジラウレートを使用することについての記載がなく、かつ、その使用が自明であると認めるに足りる証拠もない。したがって、このような重合触媒を使用した実験報告書である甲第7号証の記載をもって、甲第6号証実験が本件明細書の実施例1、4及び6の正確な追試ではないということはできない。

また、甲第8号証(原告機能性材料研究開発センター ファインケミカルプロセスグループ 【J】作成の平成10年4月27日付実験報告書)には、本件明細書の実施例1及び4について、切削性、研磨性が良好であった旨の記載がある。しかし、同証及び乙第7号証の2によれば、眼鏡レンズの研磨は、通常は、甲第6号証実験のように玉摺機を用いてダイヤモンド砥石により行うものであるのに対して、甲第8号証の記載の根拠となる実験は、これとは異なる平面研磨機を使用したものであることが認められるから、同証の記載は甲第6号証の記載を根拠とする前記認定を左右するに足りるものではない。なお、甲第8号証には、本件明細書の実施例6についての実験の記載がないから、同証は、実施例6に関する前記認定に反するものではない。

以上のとおり、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂には、切削性、研磨性が劣るものが含まれているから、本件発明は、製造されたものの切削性、研磨性について、当業者が予測できない効果を奏するものということはできない。

(ロ) のみならず、甲第3号証によれば、引用例1には、「得られた装置は所望ならば当業界に既知の技術を用いて機械加工および(または)研磨できる。」(90頁右下欄下から3行目ないし末行)との記載があることが認められ、上記記載によれば、引用発明1によって製造されたものは、常温で切削、研磨できるものであることが認められる。そうすると、本件発明によって製造されたプラスチックレンズ用樹脂が、常温で切削、研磨できるものであるとしても、本件発明は、引用発明1

と比べて、切削性、研磨性の点において特有の効果があるということはできない。

したがって、本件発明は、この点においても、製造されたものの切削性、研磨性について、当業者が予測できない効果を奏するものということはできない。

(ハ) 前記(イ)、(ロ)認定のとおりであるから、本件明細書の実施例のすべての樹脂が-20℃に冷却して初めて切削性と研磨性が良好である旨の審決の認定判断の当否にかかわらず、本件発明によって製造されたものの切削性、研磨性は、当業者が予測できない効果を奏するものではないというべきである。

(3)  本件発明のパイオニア性について

原告は、<1>本件発明の最大の特徴は、ウレタン樹脂に対する硫黄原子の導入にあり、かくしてチオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂を初めて提供した点にある、<2>本件発明の場合、その特許性は「チオウレタン結合の形で硫黄原子を導入したことによる高屈折率を与えるレンズ用樹脂の製造方法」を提案した一点を以て十分に評価される旨主張する。しかし、引用発明1は、ウレタン樹脂に対する硫黄原子の導入として、チオウレタン結合の形で硫黄原子を導入したレンズ用樹脂であること、チオカルバミン酸S-アルキルエステル系レンズ用樹脂の製造方法が、引用発明1ないし3から当業者が容易に想到することができたこと及び本件発明によって製造されたレンズ用樹脂の屈折率は当業者が予測できなかった顕著な効果とはいえないことは前認定のとおりである。そうすると、本件発明は、原告主張に係る最大の特徴において進歩性がないものといわざるを得ない。

また、原告は、被告ら自身が原告の技術指導の下に昭和63年2月本件発明の実施品であるレンズ用樹脂の商品化に初めて成功し、平成5年5月まで原告の技術指導が続けられた旨主張する。しかし、本件発明の構成が引用発明1ないし3から当業者が容易に想到することができたものであり、しかもその効果は当業者が予測し得たものと判断される以上、仮に本件発明の特許請求の範囲の記載に合致する方法によって製造された物の一部には優れたレンズ用樹脂も存在するとしても、そのことをもって本件発明に進歩性があるということはできない。

したがって、原告の主張は、採用することができない。

4  以上のとおりであるから、原告主張の取消事由は、いずれも理由がなく、その他審決には、これを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

第6  よって、本訴請求は、理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 山田知司 裁判官 宍戸充)

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